バンコックに暮らしていたのは1993年11月から1997年10月までの4年間。 当時モノレールはまだ工事中で、果たしてほんとに完成するのだろうか、とみんなが思っていた。計画が頓挫することなく無事モノレールは走り、おまけに地下鉄までできていた。毎年雨季の終わりには街中水浸しの洪水になっていたから、バンコックの地下鉄とは、ありえないものの例えだったのに。チャオプラヤーのエクスプレスボート乗り場には英語の案内板ができていた。よく利用していたが、当時はすべてタイ語オンリー、何度も降りる場所を間違えていた。今では公衆電話にインターナショナルと書いてあり、国内通話用を探す方が難しい。街中が近代化している。バンコックを離れてもう10年以上過ぎた。長い時間だと思う。 バンコックに暮らし始めたのは、現地で商品撮影をしないか、とのお誘いがあり後先考えずにその話に乗たから。もともと旅好きだったがタイを訪れたことはなく、暮らし始めた時に知っていた言葉は「こんにちわ」「ありがとう」「いくら」だけ。しかしスタジオスタッフがタイ人のみという素敵な環境のおかげで、結構早い時期にタイ語で意思の疎通がはかれるようになっていた。もっともそこからタイ語の進歩はあんまりなかったけれども。暮らし始めた当初は物事が思うように進まず、結構イライラしていた。日本なら問題なく進むことがうまくいかない。何を待っているのか、どのようになっているのかわからずに途方にくれていれば忘れた頃に、できたよ、と連絡があるような毎日。そして撮影に使うマテリアルなどは、その都度バンコックの問屋街を歩いて使えるものを探していた。だからバンコックの観光地はあまり知らないが、ヤワラートあたりにはちょっと詳しい。半年過ぎた頃からタイの交通事情、毎日30度を超える気候など、日本との違いが身を持ってわかり気持ちは焦りながらも、なんとかなるさ、と考えることができるようになっていた。まさしくタイ語の「マイペンライ」が身に付いてきた。そのうちにタイ人デザイナーから仕事がくるようになり、打ち合わせや現場でタイ人の見方みたいなものがわかってきた。日本では太陽の光とはありがたいものだが、常夏タイランドではどうやら遠慮したいものらしい。そんな基本的な考え方の違いがわかってきてからは、次はなにをいってくるのかと、撮影を楽しむようになっていた。日本にいたらまずしなくて済む苦労が多かったと思うが、今になればどんな環境でも工夫して撮影する根性みたいなものが持てたんじゃないかな、などと思っている。カメラマンとして良い経験ができたのでしょう。 暮らしていた時にタイ、バンコックが好きかと聞かれたら、首を傾げて、う〜ん、と考えていただろう。仕事をしていれば楽しい面もあれば当然嫌なことも多い。何度も観光でタイを訪れていて、好きが高じて仕事を見つけて暮らしたとたん勝手が違うと失望した人を知っている。海外で働くとはそんなもんだと思う。タイに思い込みがなかったからこそ4年間いられたと思う。帰国してから何度かタイを訪れている。その度にバンコックはきれいになって、暮らしていた頃に比べると近代的になっているのがはっきりとわかる。人も車も含めてわけのわからない混雑が少なくなっている。当然良いことだが、なんだか寂しくもある。それでも屋台とかサムローとかで普通に接するタイ人に変わりがないのはうれしい。ツーリストとしてバンコックを訪れ、距離を置いてすべてを見られる立場になった今、バンコックが好きかと聞かれたなら、好きです、と迷わず答える。次はいつ行けるかな、新しく見えるものがあるかな、などといつも考えている。 | ||